死刑 >> 無期懲役の狭間で

 ローガンさんは82年1月に起きた警備員射殺事件の犯人として起訴され、一貫して無実を主張したものの検察側は死刑を求刑。判決は仮釈放なしの終身刑となり、服役していた。
 ところが射殺事件発生のわずか1カ月後、別の警官殺害事件で逮捕されていたある男が自らの弁護士と面会中、「あれは自分がやった」と告白した。
 弁護士は驚いたが、この男は同時に、自らの死後まで秘密とするよう求めたため、ローガンさんの無実を申し出ることはできなかった。弁護士は告白に基づいて宣誓供述書を作成した上で、厳重に封印。そのまま歳月が流れた。
 真犯人の男は同じく終身刑を受け服役していたが、昨年11月に死去。その後、弁護士はようやく事実を明らかにし、ローガンさんの釈放手続きを進めていた。

米シカゴの話。26年前の殺人事件で終身刑を受け服役してた男性(54)が、真犯人の自白を受け釈放されたそうです。無実の罪で人生の半分近くを刑務所で過ごさなくちゃいけなかったローガンさんの気持ちを思うと、考えが渦巻いて言葉にできません。
日本でも山口県光市の母子殺害事件で死刑判決が下ったり、また来年からの裁判員制度導入から、死刑制度自体に感心が高まってきてます。残忍な犯罪が報道されると「この犯人は死刑にすべき」とつい感情が先走ってしまいますが、このアメリカの話のように冤罪の可能性を考えると、死刑は取り返しのつかない罰であり、これが死刑反対論者のメインの論点の1つでもあります。かといって日本では死刑の次に重い判決が無期懲役(保釈あり)なわけですから、この2つの罰の間の隔たりが大きすぎるのも問題です。また、被害者家族には「極刑をもって罪を償って欲しい」という感情があるのも仕方のないことでしょう(かといって死刑が妥当かどうかは置いておいて、感情論として)
実は、とあるご縁で凶悪犯罪の被告人の弁護を担当した弁護士さんの講演を聞く機会がありました。O府I市で8人殺害した事件なので知名度は非常に高いと思います。その被告の責任能力を判定するために精神鑑定が行われたのですが、鑑定結果は「精神疾患はなし。ただし百万人に1人ぐらいの、人格異常が複数ある状態。(被告の攻撃性・残忍性を指して)これはもうどうしようもないんです」と出たそうです。病気ではないから薬では治らない人格異常ですが、平時では残虐事件を起こすことはあっても、例えば戦時中だったら非常に有能な兵隊になり得るような性格かもしれない、と。
この鑑定結果を受けて出た判決は死刑だったのですが、弁護人が翌日控訴しても被告人が控訴を取り下げ、その翌年だかに死刑は執行されました。このケースでは冤罪ではありえなくても、犯人自ら死刑を受け入れ、反省も謝罪の言葉もないまま国家権力に殺されたわけです。
この話を聞き「死刑とは何ぞや。その意義は」と鬱々と考え込んでしまいました。極端な話し、裁判員に選ばれ担当した事件で類似したケースが出たら・・・恐らく自分では死刑は選べないです。答えが出ない問を自分の中で繰り返してます。