「付き合おうか?」「はい」

ただ、「付き合おうか?」「はい」の有無が、「付き合っている」 かどうかの絶対的(に近い)基準になっているのは、どうにも不思議な感覚です。 この不思議な感覚は、ある程度以上の世代においては、かなり共有できるものじゃないかと思います。 明確な境界があるかどうかは定かではないのですが、「付き合おうか?」「はい」 を重視するかどうかの境は、現在の年齢で、25 歳から 30 歳の間あたりにあるんじゃないかと、 感じています。きちんと調査したわけじゃありませんので、 あくまでも私の経験の中での感覚的なものですけどね。 仮に境界が 25 歳位だとすると、大げさに言うと、その上下で「付き合う」の認識においては、 世代間ギャップが存在していると思います。「付き合おうか?」「はい」 という儀式を重視するかどうかのギャップです。

私は28歳ですが、この「儀式」を重視しますね。というより、「付き合おうか?」という言葉を省略する事によって発生しうる誤解が身に染みてるので、オツキアイする最初の段階として必須だと思います。
ほんの数十年前までは、未婚の男女が二人で町を並んで歩いてるだけで「あの二人は結婚するんだ」と周囲から思われたらしいじゃないですか。それが「神田川」世代では、同棲しても籍は入れていない。この時点で、神田川世代より上の人たちには 世代間ギャップどころの話ではなかったと思います。こうやって徐々に男女関係とそれに貼られる世間的レッテルは、ゆっくりでも確実に変化してきています。
週末に定期的に会ってセックスしても付き合ってない、という価値観は、裏を返せば「週末に定期的に会ってセックスする」という関係だけでは特殊性がない、ってことなのではないでしょうか。 そのぐらいは友達でもフツーにやってると。(別に自分はやってないですけれど) いざ自分に定期的に会ってセックスする相手ができた時に、その相手にとって自分以外のパートナーがいなくて、相手にとって自分が特別な人間である、と確認する手段が「付き合おうか?」「はい」なんだと思います。