絶対主義ではないが適応しないと喋れない

僕も外国人の先生に英語を習った経験が短期間ながらありますが、確かに、彼らの「西欧文化絶対主義」には、閉口させられることもありました。「歌舞伎」とか「寿司」というような「個々の(物質としての)日本文化」に対しては、それなりに敬意を払っている人も多いのですが、話が「日本人」となると、かなり辛らつな批判をする人もいたのです。このパーティの話にしてもそうなのですが、「本当にあんなパーティとかでにこやかに会話するのが『正しいこと』なのか?」「そんな機会が、一般的な日本人にとって、一生に何回あるのか?」と考えると、本当に、そこまでして「英語を信仰する」必要なんてあるのか?と言いたくもなってしまいます。

この日記の前半に引用されている英会話スクールは本当にひどそうです。ゴキブリ・・・ しかし外国語を習うということは、多かれ少なかれ「その国の文化」を習うこと。『正しい』とか『間違っている』とか『信仰する』という話ではないと思うんです。
まぁ確かに「西欧文化絶対主義」な人もいますけどね。蕎麦食べに行ってるのに音立ててすするな!! なんて見当違いな事しか言えないタイプ。(そういう人に対しては、日本文化が大好きな西洋人達は"you're in a wrong country."って陰口叩いてます。)個人的にはそういう狭見な人達には英会話の教師になって欲しくないのですが、でも彼らも文化交流大使なわけではないんだから、残念ながら無理強いはできません。せいぜい、「あそこのスクールの先生達は異文化に対しての理解があるよ」って評判のいいところに行くしか回避策はないと思います。