嫌悪感に後付けの理由

「蛇が嫌い」なそのわけは?
上の記事を読んで思い出したのが、「蛇が嫌い」と主張する知人の話。「なんで蛇が嫌いなの?」と訊いたら、顔をしかめながら「だって、ヌルヌルしてるんだもん!」と言うんですよ彼女は。
でも、田舎育ちのあたしは熟知していますが、蛇はヌルヌルなんてしていません。蛇のからだはさらさらすべすべと乾いていて、むしろ良い手触りです。でも、いくらそう言っても彼女は「嘘! とにかく蛇は嫌いなの」と繰り返すだけ。
よくよく聞きただしてみると、彼女は蛇に触るどころか、間近で蛇を見たことすらほとんどない人でした。「結局この人は『ヌルヌルしているから』蛇が嫌いなんじゃないんだな。最初からただなんとなく蛇を嫌っていて、その嫌悪感を合理化するために『ヌルヌルしているから』という理由を後からくっつけているだけなんだなあ」と、そのとき思ったものです。

読んでみると、こういう話はよくありそうだと思いました。昨日のエントリにも関連してそうだ。

その彼女は実際に蛇を見た事ないけれど、伝聞で知った『蛇的な属性』が嫌い。

こう書くと「食わず嫌い よくない」という結論に向かいそうだけれど、他方で実体験至上主義に陥る危険性もはらんでいます。個人的には「シーザーを語るのにシーザーである必要なし」だと思うのですが・・・この辺のバランスは難しいな。