「考えること」と外から見たアウトプットの量

私はとりあえず書いてしまう人なのであれなのだが,きっちり結論まで落ちないと動き出さない層というのは確かに存在する。子供は特に多い。上から褒められる,評価されるそういうことが最重要なうちはしかたあるまいとはおもう。それでも書けとは言うのだけど。何でもいいからかけ,とりあえず思いついたら書け,と。よく言った。結論まで行かなくても,分からなくてもいいから,とりあえず思いついたところまで書けばわからないところがはっきりするから。だから手を動かせ。といい続けた。だけどできるようになった人は少なかった。

これを読んで昔の公文の教材を思い出した。国語の長文読解に出てきた文章なのでソースを当たれない(ひょっとしたら意外と知られてるのかも)。
チンパンジーとゴリラに簡単なパズルを解かす話。チンパンジーはとにかく手当たり次第にピースを回し、とっかえひっかえで目まぐるしく取り掛かる。対してゴリラは、パズルを目の前にしても手を出さず、ジッと考え込んでいる。しかしながら両者が正解に辿りついた所要時間は同じであった、という例え話が前半にあった。その後に「パッと見た目ではチンパンジーのほうが解決能力が高そうに見えるが、結果まで見届けると、どちらが優れてるかは言えない」という、今考えるとやや説教臭い段落で結ばれていた。
ここ数日の「考えること」に対する論争の発端は、「考えたのだけど・・・」と言いつつアウトプットがなく思考停止してるケースに対する警鐘だったと記憶している。もちろん思考停止して「本当は考えてない」場合も多いのだろうけど、世の中にはゴリラタイプの人だっているんじゃないだろうか*1。直感的な話になってしまうけれど、子どもや初心者の方がゴリラタイプが多いように思う。
自分は、簡単なパズルのような場合は手を動かしながら解いていく。けれども、新しい研究テーマを考え出すような熟考型の時は、必要な判断材料を仕入れた後は、数日間は積極的な検討は行わないときがある。頭の中で発酵させるというか、バックグラウンドでジョブを流し続けていると、ある時ポンっと妙案が浮かび上がってくるのだ。後者のような思考回路の時に「お前アウトプットは何もできてないじゃないか」と言われると、正直とても困る。考えてないんじゃない、アウトプットの形に実を結ぶまでの段階に到達してないだけだ、というのは通用しないのだろうか。だとしたら、それは自分には随分と世知辛く思える。

*1:「できるだけ多くの提案を出せ」という設問の場合は例外