大相撲の国際化はパンドラの箱を開けたか

グローバル化する大相撲 相撲協会に必要なのは「伝統」を捨てる勇気
理事長軍配に横審“物言い” にらみ合い、白鵬だけ注意
時津風部屋の死傷事故の後なのに親方の意識は変わらないようです。また、夏場所千秋楽結びの一番の見苦しい顛末に対する相撲協会の注意の仕方に非難が上がっています。マスコミの報道は偏ってることを加味しても、大相撲の旧態依然たる考え方はそう簡単に変わりそうもありません。
ここで全然毛色の違うブログを引きますが、東大中原先生が面白いことを書いていらっしゃいます。日本古来の国技にモンゴル、欧州、南米・・・と多様な国から力士が集まるようになって10年。「多様であることのすさまじさ」がそろそろ相撲界にも作用してきてるのではないでしょうか。今までの日本人としての「空気読め」や「臭いものに蓋」文化が通じなくなってきてるのは肌で感じます。この「すさまじさ」が自浄効果につながればいいのですが、一歩間違うと内部崩壊に繋がりかねない諸刃の剣ですね。

「多様であることの中から新しい意味や価値を生み出せる」とする仮説が、実は必ずしも成立するものではないこと。多様であることによって起こる出来事は、「予定調和」や「自然発生」といった言葉では言い当てることのできない、ある意味で、予測不能な「すさまじさ」をもつことを述べている。
 自戒を込めていうが、その可能性や価値を語り、実践しようとするならば、「ささやかな覚悟」を決めたほうがいい。そこで起こっている出来事がどのようなものであるか、について、誰にでもわかる言語で、アカウントすることに取り組まなければならない。
 多様とはすさまじい世界である。