ネット上に散在する落伍者の話

たとえば、彼が某人気コミック誌の編集者と話したとき、その編集者がこぼしたのだそうだ。力をつけてきた若手漫画家に声をかけ、そろそろ連載を持ってみないかと水を向けると、断ってくるケースが実に多いのだとか。
「断る? そんなばかな、天下の×××××の誘いを断るってのかい」
(中略)
「すると、漫画家を志す若者は成功した自分を思い描くより、失敗して消えてゆく自分を思い描くってことなのかい。せっかくメジャー誌に描けるチャンスをもらっておきながら」
「それもあるでしょうが、ネットには転落した人たちの“その後”がリアルに描かれているからなんですよ。ちょっと出てきて、ブレイクする前に消えてゆく若手漫画家たちの現実というか実態です。弾かれて表舞台から姿を消した漫画家たちがどうなっていくか……、彼らはそれを見ているんですよ」
「悲惨なのかい?」
「おそらくは。ネットはそうやって消えていった人たちの末路をつぶさに追っているんです。追えるツールと言えばいいのか、それがネットが炙り出す社会の深淵です」

 ふーむ。と私。
 現実の残酷さにギャグも……、じゃなくて声も出ない。

「トライする前にネットで見た現実に打ち負かされてしまうわけか、自分の将来を消えていった漫画家たちに重ねて」
「メジャー誌で描いてみたはいいものの、読者に受け入れられなかったときの怖さもあるんでしょう。つまりは面白くないと言われるのが怖いんです。自分と自分の作品を受け入れてくれる媒体で描きたいってのは、そういうことなんですよ」
「可哀想だな。自分を受け入れてくれる世界を選択する思考も、負のイメージが先行してそれに負けてしまう生き方も」

 インターネットには無限の可能性があると言いながら、これでもかというほどの現実を突きつけて未来ある若者から夢見る昂揚感を奪い、困難に立ち向かおうとする意欲をはぎ取り、可能性を潰す危険性をも秘めたツールでもあるのだ。

人気コミック誌に連載が決まりそうになっても断る若手漫画家がいる、というお話。理由は原稿をなくされるから・・・じゃなくて、ネット上で「あの一発屋のその後」的な話を読んで尻込みするらしい。それを「ネットが炙り出す社会の深淵」と呼んでいますが、そんなのは別に深淵でも何でもないと思います。どの業界でも超一流、成功者と言われるのはピラミッドの頂点に立つほんの一握りです。その下には、海面下に沈んでる氷山のごとく、その業界のスポットライトに当たれなかった99.999%の人たちがいる。山中先生の下には何万人もの研究者がいるし、北島康介の下には全国ランカーにすらなれなかった何万人ものスイマーがいるんです。それを社会の深淵とは、片腹痛い。
しかしまぁ、昔だったら「○○の偉人シリーズ」などで成功者の体験談しか知りえなかったのが、ネット時代になってその他大勢の話も読めるようになった、というのは本当でしょう。氷山の一角じゃなく、氷山の全体図が(おぼろげながらも)見えるようになった時に、それでも氷山の頂点を目指すかどうかは個人の自由だと思います。

「成功というのは、誰もが達成できるものじゃないから成功なんです」

 なるほど。皆が成功してしまったら、それは“平均”だ。

「でしょ。平均を成功と言う人はいないから、平均の人ができていないことをするのが成功なんです。ということは――」

 ということは――?