どこまでが「日本人」?

[間歇日記]世界Aの始末書: たまたま日本で生まれた人がノーベル化学賞も受賞
ノーベル物理学賞を受賞した南部先生はアメリカ人、化学賞の下村さんもアメリカで何十年も研究していらっしゃいます。それでも「日本人の快挙!」と日本の一般人が喜ぶのはどうしてだろう?と思っていたらヒントがありました。
Twitter / ultraviolet: 「乗客に日本人はいませんでした」というときに南部・下 ...
海外で災害・事故があったときにおなじみの「日本人はいませんでした」の報道。これって人種差別ってより「視聴者の中に類縁者はいない(と思われます)」の婉曲表現だと思います。よって今回のノーベル賞フィーバーは「(受賞者の国籍や研究基盤は置いておいて)我々の類縁者が快挙!」って感覚に近いのかなぁと。だから仮住まいのご近所さんなんて人まで報道に引っ張り出されるのも仕方のないことなのかもしれません。要するに21世紀になってまで日本人は村意識を引きずってると。
あ、文科省「南部さんを日本人とカウントしないわけにはいかないが……」発言は全然別物ですよ。みっともない欲目なだけでしょう。
【追記】
同じような違和感を覚えた在日中国人のブログ記事。南部先生を日本人受賞者としてカウントするなら、今年のノーベル化学賞受賞者について「日本人1人、中国人1人、アメリカ人1人」って書かないと整合性がないですよーってことでFA>日本メディア
<在日中国人のブログ>ノーベル賞と縁の遠い母国
【追々記】
ノーベル化学賞を受賞したチェン教授は中系2世なんだな。そりゃ「自分は中国人ではない」ぐらい言うだろう。ま、南部先生だってアメリカ人なんだけどな。

 「あなたは中国人ですか。中国語は話せますか」と聞かれたチェン教授は英語で「あまり話せません」。さらに「あなたの業績は中国人科学者にとってどういう意味があるか」と尋ねられると、「私は中国人科学者ではありません。米国で生まれ育ったので」。ただ、「この受賞で中国人が喜び、誇りと感じてもらえるなら、そして、多くの若者が科学の研究に興味を持ってくれれば、とても良いことだと思う」と応じた。