広がらなくていい日本文化が


 募金ができない子どもたちはまだしも、私は鶴を折る理由が分からなかった。被災地に必要なのは鶴ではなくて、義援金や食料、衣服などではないか。

 実際に、私が友人にプリンストン大学の折り鶴プロジェクトを話すと、多くの人が「必要なのは鶴じゃないのにね」と反応した。

 折り鶴を日本に送ろうとした友人が、アメリカにある日本の政府機関や国際交流の団体に問い合わせると、「折り鶴を受け取るのは難しい。日本に送ることができる保証はできないし、かといって頂いた鶴を捨てることもできない」といった消極的な反応が多かったという。

 折り鶴を送ること以外に、やらなければならない仕事が山積しているのだろう。かさばる折り鶴を運ぶのは、物流網が完全に復旧していない状況では容易ではない。

 私はプリンストン大学の学生たちに、「折り鶴はかさばるし、被災者に必要なのはお金や食べ物じゃないのかな」とさりげなく助言し続けた。

 それでも、彼らはひるまなかった。鶴を折るという行為に確固たる意思と自信が満ちているように見えた。(中略)

 柴田さんから100万羽の鶴プロジェクトに誘われて、実行委員となった栗脇志郎くん(19歳)の想いは少し違っていた。

「鶴を折るのは、ドナーファティーグ(募金疲れ)の対策でもあります」

 アメリカは日常的に募金活動が行われている。その結果、寄付を行う人たちが、寄付先が多すぎて、どこに送るべきか判断が付かなくなったり、募金を依頼されることに疲れてしまう現象が起きている。

 「学生にとって、毎日5ドルを寄付することは苦しいけど、折り鶴を5羽ぐらいなら折れるでしょ。多くの学生に参加してほしい。だから、参加しやすくする仕掛けも必要なんです」

 プリンストン大学の折り鶴ブースに座っていると、多くの大学生が興味を持っていることが分かる。「学者の卵」風の真面目そうな男子から、金髪をゆらしながら歩く美女、スケートボードが似合うさわやかな青年まで、様々な学生がブースに吸い寄せられてくる。

ハイチの震災の際に、日本国内からハイチに折鶴を送ろう!という騒動がありましたね・・・ 周囲が「折鶴は被災地の人たちには迷惑」とか「現地は食べ物すら足りないんだから、鶴を送ってる場合じゃないだろ」とか忠告しても、鶴を折ることが正義だと信じた人たちの行動を止めるのは難しかったようです。
そして今、日本の大震災に対し、アメリカ人たちが折鶴を作ってくれてるようじゃないですか。なんというブーメラン。被災者に必要なものが他にもある、と分かっていても、折鶴を送ろうという気概をアメリカ人が抱くとは・・・ 予想だにしませんでした。「お金は出さなくても、小さな何かを送る」という幻想は、世界共通なのかもしれません。Donor fatigue対策なら$1札で折ってくれたらいいのに。そう思ってしまいましたが、きっとハイチに折鶴を送った人たちは、アメリカ人の心遣いに感激するんでしょう。心遣いを他人に贈るって難しいですね。