相撲>>>>国家


そもそも、相撲を「国技」というのもよろしくない。
相撲は国家の後にできたものじゃない。むしろ、国家を基礎づけたものです。
国家が国家になるために「使えるものは全部使って」つくりあげた「前-国家的」な制度です。
そのようなものは国家制度の側から見たら「いかがわしいもの」に映る。
当然です。
相撲は発生的に「公的な認知」にはなじまない。
朝廷や豪族や大名や貴族が「相撲を私有化」しようとしたことはわかります。「国家を基礎づけた機能」を所有したいと思うのは当然です。
でも、相撲の方から、国家にすり寄ることはない。
本来はそのような制度の編み目ではとらえられないものなんです。
ここ数年の相撲をとりまくゴタゴタについて、根源的な問題と解決方法をズバッと書かれています。自分は花相撲や巡業には全く興味はないのですが、とはいえ純粋なスポーツとしての相撲トーナメントにも興味はありません。その両者が絶妙な割合で混在している本場所、千秋楽への盛り上がりこそが、大相撲の醍醐味だと思っています。15日間の濃密度な取組の中で、体調不良の日があれば、多少の無気力相撲もあるかもしれませんが、毎日の取組で優勝決定戦なみのガチンコをやっていたら、力士はあっという間に壊れてしまいます。これは、我々の日常生活も、長い人生も同じことです。それを改革とかスポーツという枠で切り取ろうとするからイビツになる、と。さすが内田先生。