医者と患者の間に横たわる不理解
医者と患者との間に「死」というものに対する概念の差が生まれているということでしょう。
残念だけれど、医療には不可避な死というものが存在します。どんなに優秀な医師でも、事前の予見が不可能もしくは、きわめて困難で、突発的かつ急速におこる死というものが。
それを、専門家が「避けられなかった」と言っても、そうじゃない人は「そう言っても人が死んでいるんだ!」と言って、不可避な死というものが受け入れられない。もしくは、そこに「何か隠していることがあるんじゃないか」と疑惑の目を向ける。
そこの大きな壁が存在する。そう思うんですが。
コメント欄からの引用ですが、上の文章を読んでなるほどなぁと思ったのでメモ。自分は医者じゃないけれど医療に少しだけ携わっているので、「医療的に不可視な死」が存在することを理解しているつもりです。でも実際に自分の近しい人がそれで死んでしまったら感情的に納得できないんだろうなぁと想像できます。それに医療従事者には日常的な死も患者側にとってみたら究極に非日常なんだから、知識的な壁に加えて感情的な壁の二重構造があるんじゃないでしょうか。
その壁を乗り越えるためにインフォームド・コンセントがあると思ってたのですが、下のような文章を読むともう・・・どこをどうしていいやら。
正直なところ、「医学的な下地がない人に、医者の説明がどの程度理解できるのか?」という点については、僕は以前から疑問に思っていましたし、現場でも、それはものすごく感じています。そもそも「肝臓ってどこにあるの?2つあるんでしょ?」というくらいの「予備知識」しかない患者さんや御家族に、30分間で「理解できるような肝硬変の説明」をするのは、かなり至難の業なのです。というか無理です。解剖学のイロハから説明するわけにもいかないですし…あれこれと1時間くらい良性疾患の説明をした末に、最後に奥様から「で、ウチの人は、どこの癌なんですか?」と問われたなんて話は、枚挙に暇がありません。