語らない美学は人を損なう

――確かに論理よりも「場の空気を読め」という圧力を感じることはあります。
 でき過ぎる人は、自分が質問ばかりすると「みんなから嫌がられるのではないか」と思い、できなさ過ぎる人は、「みんなの足を引っ張るのではないか」と思う。そうすると質問も、みんなのことを考えた紋切り型になる。そういったことは、もっとも哲学と遠い。
 空気を読むよりも、罵倒を1時間されても、それに抵抗する訓練が必要じゃないですか。キレないためにもそういうことが必要だと思いますね。
――比べて日本では、「よく考えてものを言え」というように、「話していいこと・いけない」という空気を読む感性が非常に発達しています。

──そこでは論理は飛躍して美学だけが求められますね。
 言い訳しないで切腹する美学が求められる。辻元清美議員だって言い訳したら、醜いと言われました。私はそれはひどいと思ったし、彼女は10時間でも20時間でも言い訳すべきだったと思います。自分を責める他人を責めて、その中で打開していけばいい。
 やはり日本人が何に対して醜さを感じるかというと、だいたいが自己主張です。田中康夫長野県知事もそうだけど、行動ではなく、美学に反する態度自体に苛立ちを覚えているわけでしょう。>