戦闘能力とタイミングの見計らい方

学問でも、だれか自分に関わる人たちが反則を犯したときには、というか反則を犯したと信ずるにたる状況があるときには、直ちにそれを指摘する必要がある、というのがわたくしの長年の経験から言えることです。セクハラやアカハラ的な行為に対してもです。こわがることはないとおもいます。それで言い合いになる場合がありますが、案外相互理解が進む場合があるのです。自分が間違っている場合があるとしても、なんら問題ありません。間違っていたといえばいいのです。それで相手が居丈だけになっても別にどうこうおもうことはありません。なにごとも指摘することに意味があると思います。
時間が経ってからでは、もう臨場感がないので、なかなか相互理解が進みません。それに、その時に言わなかったことを後悔したあげくの発言は一般にあまり迫力がありません。

またまた長文メモ。柳田先生のブログより「学問の一部はいくさ」とのこと。そうかもしれない。戦うのは吝かではないが、戦うべき時と流すべき時の判別がつかないです。実は今も理不尽と思うような状況に巻き込まれ、毎日悩みつつも日付が変わる時間まで残って頑張っているのです。これを元凶の人に「話が違うじゃないですか」と言っても現状は変わらないと思って押し殺していたのですが、取りあえず話してみるのもいいかも或いは意味のあることかもしれません。問題は相手が自分の指導教官だってことだけですが・・・やっぱ無理か。