ぶらぶら社員

 六十歳で永谷園を退職した能登原を食通にしたのは四十一歳からの三年間だ。肩書は開発企画室長。が、部下はいなかった。それどころかタイムカードも決まった仕事もない。別名「ぶらぶら社員」。出社に及ばず、とにかくうまい新商品を作れ、と社長の特命を受けたのである。
 翌日から仮払いの十万円を懐に、未知の一流店を食べ歩いた。予算は青天井。使うとすぐに補充された。

ぶらぶらしながら旨いものを食べるのが仕事・・・それなんて山岡士郎?「ぶらぶら社員」はフィクションじゃなく、永谷園で麻婆春雨を開発した能登原さんの実話です。なんて羨ましい、と思わずに入られませんが、能登原さんの19年後に復活した「ぶらぶら社員」達は、成果も出ず「記憶があまりない」状態のまま流浪したそうですから、美味しい話ばかりじゃないんでしょう。選択肢が多すぎると人は返って選べない、というエピソードを連想してしまいました。