マスコミが遺族の自宅前にたかる訳

 容疑者宅のお隣さんなどはひっきりなしに取材陣が呼び鈴を押すものだから、いい加減うんざりして応対もしてくれなくなったり、中には半分キレ気味に、ときにはマジでキレて私たちを追い払おうとする人もいる。それでも話を訊かせてほしいと頼み込むのが我々の仕事で、邪見にされたところでいちいちめげているわけにはいかない。(中略)
 足を棒にして現場を歩きまわっても、思ったようなコメントを拾えないことくらいは私にもよくわかる。私なんぞはしょっちゅうどころか、ほとんど毎回がそんな感じだ。良心の呵責に苛まれつつも、遺族のコメント、容疑者の性格を伝える証言を得られないときなどは、やばいな、これじゃ記事にならんぞ、といった不安に苛まれる。取材中はずっと胃痛との戦いでもあります。

NBonlineの降旗 学さんのコラム楽しみにしてるんですが、これはいただけない。昨日事件のワイドショー的報道規制をというエントリーを書いたんですが、取材側が「話を聞かせてくれと頼み込むのが我々の仕事」と勘違いしてるうちは下世話なワイドショー的報道はなくならないでしょう。悲しいことだけれど。八王子通り魔事件の遺族が「報道の社会的使命の重要性は承知していますが、私どもはこのたびの事件被害のため多忙を極めております」と取材自粛を求める文書を出したそうですが、そんな当たり前のことを文書にしないといけないとは。遺族のコメントなんて社会的利益に全然なりませんよ。そんなのいらないから不幸な遺族をそっとしといてやって下さい。