Bowling for Columbine

彼らのゲーム歴はなぜ公表されないのか
京都教育大の容疑者に関する報道が偏ってる、というエントリですが。ゲーム歴が報道されなかったり、容疑者たちに共通のスポーツが取り上げられないのはBowling for Columbineと同じ現象でしょう。コメント欄の方が面白かったので引用。

講談社現代新書「ジョークとトリック」からの引用になりますが、水族館の生物たちに与える生き餌として、安く手に入る金魚(小赤)を与えると客から「残酷だ、教育上よくない」と抗議が来るのだとか。仕方なく、やや高めではあるもののドジョウを与えていると、抗議は来ないというもの。

ここでの「なぜエサとして生きた魚を与える際、ドジョウでは良くて金魚ではダメなのか」を、理性的に説明できる人は、ほとんど居ないでしょう。さらに言えば、自然界ではそれこそ「生き物は食うか食われるか」が普通なわけで、この場面での生き餌として金魚を使う事に抗議するかどうかのセンスというのは、つまり『安っぽいセンチメンタリズム』以外の何物でもないわけです。

エロゲーや漫画・アニメなどでの表現に対して抗議がすぐ飛んでくるのは、つまり「見え易い」物だからという事以外に、自分としてはとくに理由は無いように思われます。

安い金魚を餌にすると抗議がくるけど、やや高めのドジョウに切り替えると抗議はなくなる*1というのは実に面白いです。アニメやゲームが叩かれやすくてスポーツはスルーという構図を、我々は「迫害」って呼ぶんじゃないでしょうかねぇ。
あと、衆目を集める事件に対して何か言いたい人たちってのは、叩きやすい対象を見つけて不満をぶつけてるだけであって、その内容の妥当性ってのは大して考えてないと思います。叩きやすいターゲットが誰にとっても明確なケースになると「総バッシング」になり、安全圏にいる人たちのストレス解消のすべとして消費されます。例えば海外から新型インフルエンザを持ち込んだかもしれない学校とかね。マスコミの事件報道やワイドショーも深く考えずに視聴者を煽ってるだけなんだから「どうしてスポーツをとりあげないの?」なんてツッコミは彼らには届かないと思いますよ。

*1:抗議する人たちに「餌を金魚から切り替えると高くつくのでお客様の入場料が○円上がりますが」と言ったら、どう反応するのか興味あり