一澤帆布の大まかな流れ

骨肉の争いが形勢逆転、「筆跡」巡り割れた最高裁判決
この記事がわかりやすかったです。自分のまとめは歯抜けだらけでしたね。日経BPは、第2ページ目以降はすぐ読めなくなっちゃうのでザッとまとめ。

  • もとの一澤帆布は零細企業
  • 四男の喜久夫氏が一澤帆布のデザインの大半を手がけたものの、病気がちだったために兄弟のどちらかに手伝いを依頼
  • より近くに住んでいた三男・信三郎氏が家に戻り、妻の恵美氏とともに家業を盛り立て人気店にする
  • 1997年12月、父・信夫氏が遺言状を作成
  • 2001年3月、父・信夫氏が亡くなる。「第1の遺言書」はそれまで会社の顧問弁護士に預けられていた
  • 父・信夫氏の死後に長男・信太郎氏が「第2の遺言書」を預かっていることを明かす
  • 2001年9月、三男・信三郎氏が京都地方裁判所に訴えを起こす
  • 2005年12月、最初の最高裁判決では筆跡が決め手で長男・信太郎氏が勝訴
  • 2005年12月、長男・信太郎氏は株主総会筆頭株主として、信三郎氏や妻の恵美氏などの取締役を全員解任。代わって信太郎氏が代表取締役に就任
  • 2006年3月、三男・信三郎氏が「一澤信三郎帆布」という別会社を立ち上げ、60人余りいた職人のほとんどが転籍。一澤帆布は売るものがなく営業停止
  • 2006年10月、長男・信太郎氏は四男の喜久夫氏と協力しながら生産体制を一から立て直し、一澤帆布の営業を再開
  • 2007年5月、長男・信太郎氏が三男・信三郎氏を相手取り約13億円の損害賠償を求める訴えを起こす。他にも商標権の侵害など訴訟の数は20件近くに
  • 2007年、三男・信三郎氏の妻が原告となり、第2の遺言書の無効などを求めて訴えを起こす
  • 2007年5月、京都地裁では信三郎夫妻側が敗訴。控訴
  • 2008年11月、大阪高等裁判所では原告が逆転勝訴。長男・信太郎氏が上告
  • 2009年6月、最高裁で上告棄却、信三郎夫妻側の勝訴が確定。決め手は筆跡鑑定のやり直し

信三郎氏の妻・恵美氏が勝訴し第2の遺言書が無効となったので、信太郎氏が筆頭株主として開いた2005年の臨時株主総会の決議も無効。一澤帆布代表取締役として起こした一連の裁判は公判を維持できなくなるなるそうです。さらに代表取締役として受けた収入も返還する可能性すらあるとか。四男・喜久夫氏とも関係が悪化しているそうで、信太郎氏は土俵際に追い込まれている状態です。ここで打っちゃりに転じる材料は、もうなさそうだなぁ・・・
それにしても納得がいかないのが、複数ある遺言状の真贋判定が筆跡メインで行われていることです。「第1の遺言書」は毛筆に実印があって会社の顧問弁護士が保管していた。「第2の遺言書」はB5用紙にボールペンで略字の認印しかなく、個人が「預かっていた」と自己申告。どっちが信憑性が高いかは自明だと思うんだけど、単に日付が新しくて筆跡鑑定にパスすれば最高裁まで騙せちゃうんだ・・・なにそれこわい。