さようなら、千代大海


 大相撲の元大関で関脇の千代大海(33)=本名須藤龍二大分県出身、九重部屋=が初場所4日目の13日、引退を表明した。この日朝、師匠の九重親方と相談し決断した。千代大海は「(3連敗となった)昨日の相撲で決めました」と語った。今後は部屋付きの親方として後進の指導に当たる。 関脇で迎えた今場所は、場所前から、大関復帰の可能性がなくなる6敗目の時点で引退すると明言していた。だが初日から平幕に2連敗。3日目の12日、大関魁皇に54度目の対戦で送り投げで敗れ、引退を早めた。
昨日の魁皇の新記録達成が千代大海引退試合とは、なんという運命だ。まさか、あの取組のために引退を留まっていたのか・・・??? 何はともあれ、千代大海関、今まで本当にお疲れ様でした。俺たちはCSPを忘れない。
【追記】
伝説の横綱千代の富士に「アイツの才能は俺の3倍以上」と言わしめ、鉄人・寺尾にして「俺も最後までできなかった」というツッパリを極めた千代大海。どんだけスゴイんだyo?! 大相撲は惜しい人を亡くした。

 千代大海が最後の綱獲りに挑んだ2004年夏場所のころだった。師匠の九重親方(元横綱千代の富士)は、もどかしそうにつぶやいた。

 「あいつの才能が10としたら、おれは3くらいだぞ。それだけいいものをもっているのに…。もっと一生懸命やれば、結果は違ってくるんだけどな」。千代大海は当時28歳。最も脂が乗った時期にもかかわらず、稽古に打ち込まない弟子を嘆いていた。

 千代大海が頂点を極められなかったのは、稽古不足の一言に尽きる。中学時代は空手、柔道選手として全国レベルの実績を誇り、運動神経は抜群。突き、押しで土俵際まで押し込んだ相手をもうひと腰下ろして腹を押す芸当に、現役時代は突っ張りで鳴らした錣山親方(元関脇寺尾)は「簡単に見えて、あの動きは本当に難しい。おれも何度稽古しても最後までできなかった」と、うなっていた。引き足の速さも天才的だった。