毎日コツコツ続ける


 ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんと対談させていただいたときにも、彼は「僕の発見が、“棚ぼた”みたいに言われるのがすごく悔しい」と語っていた。
 田中耕一さんといえば、「試薬の調合を間違えて新しい発見につながった」とし、棚ぼたノーベル賞などと失礼極まりなく揶揄するマスコミもあったが、それにひどく怒っていたのだ。田中さんは、「毎日毎日、同じことを繰り返し、同じものを見ていたから、間違って出てきたものが、単なる雑音なのか、それとも重要な意味をもつものなのか見極められた。もし、長年同じものを見続けたという繰り返しがなければ、そのままゴミ箱にいっていたと思う」と語っていた。ノーベル賞に値するような大発見も、毎日の繰り返しなくして生まれないのである。
田中さん、そんなこと考えてらっしゃるんですか…。いやでも、調合を間違えたってエピソードだけ聞いたら、そういう印象を受けますよ。
毎日コツコツ同じことを繰り返す職人も、その内容が「職人技」なら評価されます。問題は、単純化作業だけなら機械で代用がきくように時代が変わったことでしょう。
それだけなら会社も評価できないよね。印刷所の植字職人も同じですし、ヒヨコの雌雄判定職人も早晩機械に取って変わられる運命だと思います。そのような職人が無価値なんじゃなくて、時代の変化に対応できないのが不幸なのではないでしょうか。毎日コツコツだけじゃ、もうダメだってことです。自戒をこめて。
【追記】
少し考えてみたんだけれど、同じような単純作業でも「技」が入る余地がある分野なら、毎日コツコツ努力する価値はあるんじゃないかな。例えばケーキ作り。画一なケーキを大量に焼くんなら山崎パン工場にかなう職人はいないだろうし、山崎パン工場で単純作業する工員を会社が評価しないのも理解できます。一方でスィーツ有名店なら、ケーキを焼く職人もカリスマパティシエ扱いです。同じことは研究者にも言えるけど。独創性のない研究テーマでシークエンサーを触るだけなら次世代シークエンサーに取ってかわられ、テクニシャンの職も怪しくなるでしょうね。悲しいことだけれど、これ時代なのよ。