「偉大なる将軍様」とジャンパーとネクタイ

 数年前の北朝鮮脅威論がいちばんピークのころ、テレビ番組でハングルの翻訳をよくやっていた知人が、「翻訳の方向性が変わってしまった」とこぼしたことがある。

「変わったってどんなふうに?」

「たとえば一般の住民が金正日について語るとき、普通に『首領さま』と言っているのに『偉大なる首領さまである金正日同士』にしてくれとか、『決められたことだから仕方がない』と言っているのに『わが国のためだから当然だ』にしてくれとか、とにかく攻撃的なコメントに加工されるんだ」

「でもハングルをわかる人は日本にだってたくさんいるのに」

「だからボイス・オーバー(吹き替え)だよ。もとの音はアフレコでつぶして消してしまう」

こうしてイメージが強調される。あるいは作られる。でも、もちろんテレビ番組制作者たちだって、この国とあの国との戦争を望んでそんな加工をしているわけではない。扇情的で攻撃的な指導者や国民として描くほうが、視聴率が上がるからだ。つまり彼らとしては、市場(視聴者)のニーズに合わせているだけのつもりなのだ。資本主義経済における企業としては、ある意味で(皮肉も含めて)当たり前の行為ということになる。

やっぱり森達也さんはすごいや、と思ったコラムです。「首領さま」→「偉大なる首領さまである金正日同士」はまぁともかく、「決められたことだから〜」→「わが国のためだから当然だ」は発言趣旨が全然違ってるんですが・・・少ししか翻訳をしたことないですが、これは誤訳すぎる。テレビ製作者側は視聴者に目が眩んで真実を伝えることを放棄してるとしか思えないです。やらせが日常的になるのも納得。
翻訳のことはさておき、金日成バッジとネクタイの対比は素晴らしいと思いました。確かにこんな細長い布切れを大の大人が真面目な顔して首からぶら下げてるんだから実に変な風習です。しかし、我々はあまりに強烈に「洗脳」されてるので、よほど強い通達がないと「ネクタイをしない」自分を許せない精神状態にきています。盛夏のクールビズに抵抗する営業マンしかり。英国医師協会がネクタイ着用禁止を表明せざるをえないほど、ネクタイは現代の先進国社会に根付いています。北朝鮮側の人たちから見たら滑稽極まりないのかもしれないな。

 襟につけた金日成バッジを見て「まだ洗脳が解けていない」などとしたり顔で言う人には、「彼らがもし主体思想に洗脳されているというのなら、あなたが今身につけているそのネクタイは、自由主義と資本主義からの洗脳の証であるということになりませんか」と訊いてみたい。(中略)

 考えたら非合理で不思議な存在だ。首を巻く細長い布。実用性は何もない。防寒にも役立たない。人類が滅んだあとに地球にやってきた異星人は、大量に発見されるこの奇妙な布切れの用途について首を傾げるだろう。まさか首に巻いていたなどとはなかなか発想できないに違いない。だって意味がないからだ。

 もう一度書くけれど洗脳などあって当たり前。彼らが主体思想によって洗脳されているとの文脈がもし成り立つならば、こちらは資本主義や民主主義によって洗脳されているとの文脈も成り立つ。本当に大切なことは洗脳されていると言い合うことではなく、どちらの洗脳がより多くの人を傷つけず、幸せにするかを考えることなのだ。