神童→秀才→ただの人?

小学校の算数の中心的な課題は計算問題である。中学校になると、「算数」は「数学」という科目に取って変わる。
「算数」の成績が悪かった者は、たいてい「数学」の成績も悪い。「数学」の問題でせっかく問題の解き方がわかっても計算する力がないと解答に到達できないため、点数がもらえないからである。
しかし、「算数」の成績が良かった者が、「数学」の成績も良いかというと話は全然違ってくる。算数の成績は良かったのに中学に入ってから授業についていけなかったという人は多くいるだろう。私が思うに、「算数」が出来ることと数学者としての適性とは全く別物ではないかと思う。
ということは、数学者としての適性はあり、偉大な才能を秘めているのに、算数が苦手だったために数学者への道をあきめらた人もたくさんいるということである。
これは、どうもおかしな話だと思う。(中略)
ではここで、小学校で算数が苦手で、そのまま中学になって数学が嫌いになった読者の方々にお聞きしたいのだが、いま、当時に理解できなかった数学の教科書を読んで、本当にいまでも理解できないだろうか?

幼少時にバイエルがうまく弾けたからってピアニストの才能があるかどうかはわからないように、小学校の算数が得意なのと中学以降の数学は別では?というお話。最後の段落の問いかけはモロに自分に当てはまりますね。小学校の通信簿は算数がダントツで悪く、中学に入っても数学が足を引っ張りつづけました。「理解できる/できない」ではなく「何のためにコレやってんの?」という疑問が渦巻く教科でした。

鶴亀算、ナンジャソリャ?
ベクトルの掛け算って、矢印を掛ける意味がワカンネー

ってね。高2の数列から微積分に至って初めて、数学の美しさが垣間見えた時点で持ち時間が終了、そのまま私立世界史受験コースに進学せざるをえませんでした。
そこから紆余曲折を経て、なぜか遺伝統計分野に迷い込んでしまい、十代で理解できなかった数学の授業の裏側コンテンツを15年遅れでやっと理解できました。因数分解、深いな。数学者になるには程遠い存在ですが、引用エントリの質問に対するお答えの一例です。
そういえばドイツの教育システムは、10歳までの学校の成績で進学コースと専門学校コースが振り分けられるとか。それを聞いたときに「そんなの早熟な子が進学に向いてるとは限らないし、遅咲きの子の進学の芽を摘み取ることになっちゃうじゃん」と釈然としませんでした。ドイツの年金システムと並んで大きな社会問題だというのも納得です。