言葉の定義が変わってるしw

良くいわれる「努力の正体が何なのかわからない」というのは、「現在進行形でおこなっている行為は、成功しない限り第三者から努力とは認定されないから」だろう。努力とは元々「後付けで成功原因を説明するためのメソッドだった」というのが個人的なまとめ。

努力の定義がシフトしてる・・・第三者から認定されないと努力じゃないとか、成功に結びつかないと努力じゃない? それ何てパブリケーション・バイアス*1
成功に結びつかなくても、成功への道筋へ正しくベクトルが向けて取り組むことが努力だろ。そうじゃないと「甲子園出場を夢見て地方大会決勝でサヨナラ負けした高校球児」の地の汗にじむような練習は第三者的に努力じゃなくなってしまう。そんな冷たい成果主義社会に生きたいんだろうか。逆にいうと確実に成果が欲しいときに口にすべきなのは「努力が足りん」じゃなくて「結果を出せ」だろうな。

*1:実験系の論文では、失敗例の報告より成功例の報告の方が多く出版されることが多い。メタアナリシスするとポジティブな方に過剰に偏る危険性がある。製薬業界ではグラクソ・ウェルカムの取組みなどがある