換気扇 超重要

31日午前4時半前、和歌山市のラーメン店「丸高ラーメン」から煙が出ているという通報があり、消防隊員が店内で従業員の高橋和さん(55)が倒れているのを見つけました。高橋さんは病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。警察と消防によりますと、店内ではコンロにかけられた鍋の中で焼き豚が焦げ付いた状態になっていて、煙が充満していました。店の換気扇は動いておらず、窓やドアも閉めきったままだったということで、警察と消防は、高橋さんが仕込み作業中に一酸化炭素中毒で死亡した疑いがあるとみて調べています。

昨日の石窯焼きパン屋で一酸化炭素中毒に引き続き、今日は和歌山のラーメン屋で仕込み中の店員が一酸化中毒で亡くなりました。痛ましい事故です。締め切りの部屋で仕込みをしてたんだからエアコンぐらい動かしてなかったのか?というのは愚問かもしれませんが、エアコンだけじゃ換気は不十分なのでしょうか。
一酸化中毒が増えたのは建物の気密性が上がったからかと考えていたのですが、11時半のNHKニュースでは「原子力安全・保安院によりますとガスコンロの燃焼性が増し、以前だったら当たり前だった換気する重要性が周知されなくなってきた」(うろ覚え)と言ってました。もうさ、火災報知機の横に一酸化炭素探知機もつけて、換気扇と連動させるのを義務付けたら?

世の中は不思議なことだらけ

 水よりもお湯の方が早く凍ることがある――。NHKの番組「ためしてガッテン」で紹介された不思議な現象が話題になっている。科学的には未解明で、物理学者の大槻義彦・早稲田大名誉教授がブログで「実に馬鹿馬鹿もの」と批判している一方、雪氷学者らは「条件次第では起きる。まじめに研究しては」という。
 ただ、容器の大きさや形、熱伝導率、周囲の空気や水の温度など多くの条件が複雑にからんでおり、メカニズムの科学的な検証は難しい。雪氷学会会員の間では「9月の日本雪氷学会で議論しよう」との声も。前野さんは「身近にも、まだ解明しきれない現象がたくさんあることを知ってほしい」と話している。

こんなことasahi.comの社会欄に載せることかね・・・?それは置いておいて、大槻教授が実にいい味出してます。腐っても物理学者なら簡単に出来る製氷実験ぐらいやってみてからコメントすればよかったのに。対する雪氷学会は実に楽しそうです。こういう身近な生活に潜んでる化学的疑問を掘り起こせば、子どもの理科離れに有効な教材ができるのではないでしょうか。ってか自分が小学生なら夏休みの自由研究で調べるね。
【追記】
大槻教授の本日のブログで、「重い腰を上げて」追従実験をやったそうです。

こんな物理法則、あるいはムペンバ効果とやら、熱力学の基本法則からありえませんので、前回私は強く否定したのです。
つまり、実験してみるまでもないのです。だから、大抵の物理学者は関心がないのです。このムペンバという言葉を知っている物理学者もほとんどいません。

教授自ら考えた3つの条件のうち、2つで水の方が早く凍ったことから「ムペンバ効果は、迷信です」と強い口調で書いてます。あのぅ、残りの1つの条件ではお湯の方が早く凍ったんですよね。それなのに迷信扱いとは開いた口が塞がりません。ご自分の実験結果を否定なさる?

突撃隊が映像に

 日本での累計発行部数870万部を誇る村上春樹の大ベストセラー小説「ノルウェイの森」(講談社)が、映画化されることが分かった。フランスの俊英トラン・アン・ユン監督がメガホンをとり、2009年2月のクランク・インを目指している。(中略)
 「自分にとっても特別な作品であり、映像化は無条件でOKというわけにはいかない」という姿勢だった村上だが、ユン監督の作品が好きだったこともあり企画開発がスタート。ユン監督は自ら執筆した脚本を村上に提示し、その度に修正、改訂を加える熱意でアピール。その間に、フジテレビも製作に加わることが決まり、そしてこのほど実現にこぎつけた。現在も脚本の改稿を重ねており、同時に日本でもロケ・ハンを進めているという。

村上さん、ノルウェイの森は自分の書きたくないものを書いたって読んだことがあるんだけれど、よく映像化にOKを出したなぁ。ユン監督は95年にでヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得した実力派らしいですが、フジテレビが絡むってのが心配です。ちゃんとしたキャストを使ってくれるんだろうか・・・突撃隊はどんな奴がやるのか楽しみだ。

属性差別はこうやって作り出される

「たとえば、教育問題について論じるのであれば、現時点で無職であっても、経験談としてなぜこの人が出てくるのか説得力を持たせるために『元教諭』などの肩書きを用います。でも、そうした必要が特にないときは、仕事をしている人なのか、この人がどういう人なのか、端的に示すために『無職』と書きます。これには特段の意味づけはしていません」
あくまで「そのときの状況に応じて、ケースバイケースで必要な情報を届けるために、無職という肩書きが選ばれている」とのこと。もっともではある。
では、余計なお世話ついでに、「無職」にかわる表現は存在しないのかと聞いてみると……。
「『無職』という肩書きが望ましいか望ましくないかは、どこの新聞でも使っている表記ですから、ふさわしくないことはないはずです」

以前「どうして日本のマスコミは容疑者の年齢・職業を報道するのか」というエントリを書きましたが、くしくもちょうど1年後にその答えになりそうな文章に行き当たりました。「ある大手新聞社の編集現場にいた人」のコメントの一部を引用しましたが、新聞の編集者は「この人がどういう人なのか」を表すために職業をつけます。しかも場合によって「無職」が「元教諭」になる場合もある、と。1年前のエントリには

例えば「銀行強盗の容疑で逮捕された○○(会社役員)」というのと「銀行強盗の容疑で逮捕された○○(無職)」というのでは、受ける印象は全然違います。しかも同じ無職でも「無職、65歳」というのと、「無職、30歳」というのでは、読む人によっては180度違う印象を持つ可能性があります。が、犯された犯罪の重さに違いはないはずです。銀行強盗の罪の重さを属性によって呵責するのは裁判官の仕事であり、メディアは中立公正でないといけないのでは?

と書いたのですが、メディアは中立公正どころか(無意識にせよ)意図的に、自分が書きたい方向の属性を書いてます。しかも「どこの新聞でも使ってる表記だから」という噴飯ものな理由を口にするあたり、問題だとすら思ってないようです。逆にこういう記事を書いたexciteのライターさんの方が問題に気づいていらっしゃる。皮肉なものです。